天門教会こども礼拝 【ピレモンへの手紙】2019年9月15日(日)10:00~10:20


こども礼拝 【ピレモンへの手紙】日曜日 
10:00~10:20


お話 かたる先生

聖書 ピレモンへの手紙
 
お話のタイトル 【ピレモンへの手紙】
         
音声:
(※スマートフォンの方はPC版でお聞きください)

お祈り かたる先生

全曲賛美いたしましょう。

こども讃美歌 

「愛 あい アイ」
1.
いつだって注がれる 主の愛・あい・アイ
生きるため必要なものは 愛・あい・アイ
だれだって求めてる 主の愛・あい・アイ
愛される喜びを知った 愛・あい・アイ
あぁ 生きてて良かったね
こんな出会いがある  
きみは愛されるため 生れたんだ
あぁ 生きてて良かったね
君は神様の子 愛されているんだ

「明日を守られるイエス様」
1.
明日はどんな日か わたしは知らない
晴れか嵐か 曇りになるか
わたしは明日を心配しない
イエスがわたしを守られるから
明日はわたしには わからないけど
明日を守られる イエスがおられる
2.
日々のあゆみは 日々に明るく
かたのおもには 次第に軽い
輝く太陽 涙かわかし
仰ぐ空には虹の かけ橋
明日はわたしには わからないけど
明日を守られる イエスがおられる
明日はどんな日か わたしは知らない
どんな道すじが 先にあるかも
だけどわたしは心配しない
イエスがおられる わたしのそばに
明日はわたしには わからないけど
明日を守られる イエスがおられる

聖書 ピレモンへの手紙
【新改訳2017】
ピレモ
[ 1 ]
1:1 キリスト・イエスの囚人パウロと兄弟テモテから、私たちの愛する同労者ピレモンと、
1:2 姉妹アッピア、私たちの戦友アルキポ、ならびに、あなたの家にある教会へ。
1:3 私たちの父なる神と、主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。
1:4 私は祈るとき、いつもあなたのことを思い、私の神に感謝しています。
1:5 あなたが主イエスに対して抱いていて、すべての聖徒たちにも向けている、愛と信頼について聞いているからです。
1:6 私たちの間でキリストのためになされている良い行いを、すべて知ることによって、あなたの信仰の交わりが生き生きとしたものとなりますように。
1:7 私はあなたの愛によって多くの喜びと慰めを得ました。それは、兄弟よ、あなたによって聖徒たちが安心を得たからです。
1:8 ですから、あなたがなすべきことを、私はキリストにあって、全く遠慮せずに命じることもできるのですが、
1:9 むしろ愛のゆえに懇願します。このとおり年老いて、今またキリスト・イエスの囚人となっているパウロが、
1:10 獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです。
1:11 彼は、以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても役に立つ者となっています。
1:12 そのオネシモをあなたのもとに送り返します。彼は私の心そのものです。
1:13 私は、彼を私のもとにとどめておき、獄中にいる間、福音のためにあなたに代わって私に仕えてもらおうと思いました。
1:14 しかし、あなたの同意なしには何も行いたくありませんでした。それは、あなたの親切が強いられたものではなく、自発的なものとなるためです。
1:15 オネシモがしばらくの間あなたから離されたのは、おそらく、あなたが永久に彼を取り戻すためであったのでしょう。
1:16 もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、愛する兄弟としてです。特に私にとって愛する兄弟ですが、あなたにとっては、肉においても主にあっても、なおのことそうではありませんか。
1:17 ですから、あなたが私を仲間の者だと思うなら、私を迎えるようにオネシモを迎えてください。
1:18 もし彼があなたに何か損害を与えたか、負債を負っているなら、その請求は私にしてください。
1:19 私パウロが自分の手で、「私が償います」と書いています。あなたが、あなた自身のことで私にもっと負債があることは、言わないことにします。
1:20 そうです、兄弟よ。私は主にあって、あなたの厚意にあずかりたいのです。私をキリストにあって安心させてください。
1:21 私はあなたの従順を確信して書いています。私が言う以上のことまで、あなたはしてくださると、分かっています。
1:22 同時に、私の宿も用意しておいてください。あなたがたの祈りによって、私はあなたがたのもとに行くことが許されると期待しているからです。
1:23 キリスト・イエスにあって私とともに囚人となっているエパフラスが、あなたによろしくと言っています。
1:24 私の同労者たち、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカがよろしくと言っています。
1:25 主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊とともにありますように。


お話のタイトル 【ピレモンへの手紙】

1, コロサイ教会のピレモン(1~7)

パウロはいろいろな教会に宛てて手紙を書きましたが、今日のピレモンへの手紙は、ピレモンという人に宛てた個人的な内容の手紙です。
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この手紙は、パウロがローマで囚人であった期間(使徒28章で語っている期間)に、この時に、自費で借りた家に住み、たずねて来る人達をみな迎えて、主イエスのことを教えたとあります。その時にピレモンに書かれた手紙だと言われています。

パウロは、おそらく、同じ時にコロサイ人への手紙を書いて、それを第3回宣教旅行の同行者であるティキコとコロサイ出身のオネシモにお手紙をコロサイの町に住む、ピレモンに渡して下さいと託しました(コロサイ4:7-9 )。

コロサイ人への手紙
4:7 私の様子はすべて、愛する兄弟、忠実な奉仕者、主にある同労のしもべであるティキコが、あなたがたに知らせます。
4:8 ティキコをあなたがたのもとに遣わすのは、ほかでもなく、あなたがたが私たちの様子を知って、心に励ましを受けるためです。
4:9 また彼は、あなたがたの仲間の一人で、忠実な、愛する兄弟オネシモと一緒に行きます。この二人がこちらの
様子をすべて知らせます。

※手紙に関係のある地図で確認して見ましょう。
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ピレモンはパウロによって信仰に導かれたと思われるコロサイ教会の中心的な信仰者で、ハッキリ言ってお金持ち。当時のローマ社会では、裕福な家庭には奴隷が普通にいました。そのようなピレモンの家族は一家で福音のために仕えていました。2節のアビヤはピレモンの妻、戦友アルキポはピレモンの息子です。

そして、4節、5節を見ますと、ピレモンは、イエス様を教会の仲間を深く愛する人  
だったようです。

2. オネシモ(8~10節)

そんなピレモン家にオネシモという名前の奴隷がいました。11節に「役に立たない者」と、記されているように何かと問題の多い奴隷だったようです。
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そんなオネシモが御主人の家のお金を盗んで逃亡し、流れ流れて、ついにローマの町で、パウロ先生がイエス様のお話しをしているということを聞いて、オネシモもパウロ先生のお家に行ってお話を聞くことになりました。

「イエス様は救い主です。イエス様を信じなさい」と話していたのです。

パウロが言いました。
「自分の罪を神様に謝りなさい。そうしたら神様は赦してくださいます。」

オネシモはハッとしました。パウロの傍に行って、小さい声で言いました。
「パウロ先生、実は私はピレモン様のお金を盗みました。」

パウロ先生は直ぐに「天の父なる神様、オネシモを赦してください」とお祈りをしました。

オネシモも、「私の罪を十字架で負ってくださったイエス様を信じます。どうぞ私の罪をお許しください」とお祈りをしました。

それから正しい人として、バプテスマを受けて、新しく造り変えられました。
そして、「役に立つ者」「有益な者」になって、
その日からオネシモは、パウロのお手伝いをしました。

  しかし、いつまでもこのままで良いわけがなく、パウロはオネシモに言いました。

「そろそろピレモンの家に帰りなさい」。
「いいえ、帰れません!叱られます!」

パウロはキッパリと言いました。
「ピレモンに謝らなければいけない。赦してくれるように、手紙を書いてあげます。」
このように言って、オネシモの主人であるピレモンに彼を送り返すことになり、そのための手紙が「ピレモンへの手紙」というわけです。


さて、オネシモとは「有益な者」という意味の名でした。以前は「無益な者」といわれるほどの問題児が、如何にして変えられたのでしょうか。

3,ピレモンへの手紙(11~25節)
当時、主人の家から逃げた奴隷は、見つかったら主人のもとに戻されて、厳しい罰を受ける決まりでした。オネシモもピレモンのもとに帰らなければなりません。

オネシモを送り返すに当たって、パウロはこう書きました。
「彼は、以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとって
も私にとっても役に立つ者となっています(11節)。
イエス様を信じたオネシモは、すっかり変えられたというのです。

さらに、パウロはこう書きました。
12節:「そのオネシモをあなたのもとに送り返します
彼は私の心そのものです。」
13節:「私は、彼を私のもとにとどめておき、獄中にいる間、福音のためにあなたに代  
わって私に仕えてもらおうと思いました。」
14節:「しかし、あなたの同意なしには何も行いたくありませんでした。それは、あな
たの親切が強いられたものではなく、自発的なものとなるためです。」
15節:「オネシモがしばらくの間あなたから離されたのは、おそらく、あなたが永久に 
彼を取り戻すためであったのでしょう。」
16節:「もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、愛する兄弟としてです。特に私にとって愛する兄弟ですが、あなたにとっては、肉においても主にあっても、なおのことそうではありませんか。」

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オネシモはパウロによって見出されました。人々から役立たずとからかわれていたオネシモでしたが、パウロは彼の中に幼子のような純粋なこころを見つけたのです。そんなパウロと出会えたことは何と幸いでしょうか。

まさに、そのようにして、私たちをも神は導いてくださるのです。
イエス様は、あなたがたがどうしようもない罪人であっても、あなたの信仰を強め、輝く神の子どもとして育ててあげますよ。と仰ってくださいました。

パウロはオネシモの保証人にもなってくれました。
オネシモがピレモンから盗んだ金品の請求は私にしてください。とパウロは記しました(18-19節)。

パウロが保証人になってくれたのです。何と大きなサポートを得たのでしょう。
このようなサポートがなければ、私たちは大胆に生きることができません。ましてや、有益な者と成長することは難しいことでしょう。

まさに今やイエス様は私たちの連帯保証人になってくださいました。イエスは私の保証人となってこう言われるのです。

「彼の罪という借金の請求はわたし(イエス)にしてください」」と。
さらに、こう言われます。
「あなたの失敗の責任は私が負うのだから、さあ、大胆にやりなさい!」
と言って、イエス様は私たちを送り出し、天の神のもとに帰ることができるようにしてくださったのです。

パウロがオネシモにこのようにできたのも、イエス様のことは勿論、具体的に周囲の人々から
パウロ自身がそうされたからです。

実は、パウロがイエス様を信じた当時、多くのクリスチャンはパウロを信用しませんでした。そんなとき、バルナバがパウロの保証人になってくれました(使徒9:26-27)。

それから数年が経過したときも、バルナバがアンテオケ教会を牧会するようになったとき、協力者としてパウロを見出したのです(使徒11:19-26)。
バルナバがパウロを見出してくれなかったら、今日のパウロはなかったでしょう。
パウロもそんな信仰の先輩バルナバの働きに教えられ、オネシモを見出し養う人になったのだと思います。
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オネシモは、パウロの手紙を持ってピレモンの家に帰りました。「迷惑をかけてごめんなさい」と謝りました。勿論ピレモンは気持ちよく赦してくれたのでしょうね。

お手紙の中に、19節に私パウロが自分の手で、「私が償います」と書いています。あなたが、あなた自身のことで私にもっと負債があることは、言わないことにします。と記していますが、ピレモンの今があるのはパウロの導きがあってのことでした。

パウロがイエス様を伝えてくれたので、彼はキリストの救いにあずかることができたのです。その天国に入れる永遠の命の恩人とも言えるパウロ先生の願いを断ることはできないでしょう。きっと彼は涙を流して、オネシモまで救いに導いてくださり、役立つ者に造りかえてくださったことに感謝して、心からオネシモを赦したに違いありません。

私たちも他の人を赦す根拠はここにあります。それは人には出来ないことです。しかし、私のために自分のいのちまでも投げ出して救ってくださった主イエスの十字架の愛と恵みを思うとき、私も、神に赦された身分を思い出して、人を赦すことができるのです。

イエス様が私たちを見出し、養い、神の子としてくださいました。感謝しましょう。私たちは神の御手の中にあるのですから、

祈りましょう・・・神様、愛をくださいの歌のように、人を赦す愛と、私も神様に許されたことを覚えていつも喜ぶことができますように助けてください。イエス様のお名前によってお祈りいたします。アーメン


それでは、イエス様が教えてくださった「主の祈り」を祈りましょう。

しゅの いのり
てんにまします われらのちちよ、
ねがわくは みなを あがめさせたまえ。
みくにを きたらせたまえ。
みこころの てんに なるごとく
ちにも なさせたまえ。
われらの にちようの かてを、
きょうも あたえたまえ。
われらに つみを おかすものを
われらが ゆるすごとく、 
われらの つみをも ゆるしたまえ。
われらを こころみに あわせず、
あくより すくいだし たまえ。
くにと ちからと さかえとは
かぎりなく なんじの ものなればなり。
アーメン


この祈りはイエス様がお弟子さんたちに教えてくださったお祈りなんですね!
この“主の祈り”毎朝、目がさめて一番に“主の祈り”をお祈りするようにしましょう。

天門教会 聖日礼拝【子孫の祝福】2019年9月8日(日)10:30~12:00


タイトル 【子孫の祝福】 日曜日10:00~12:00

説教:貴村かたる

聖書:創世記32:24~32節
音声:
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賛美礼拝
聖 歌 404(山路こえて)
聖 歌 520(ただ主を)
讃美歌 262(十字架のもとぞ)
讃美歌 294(みめぐみゆたけき)


聖書:創世記32:24-36【新改訳2017】

32:24 ヤコブが一人だけ後に残ると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。
32:25 その人はヤコブに勝てないのを見てとって、彼のももの関節を打った。ヤコブのももの関節は、その人と格闘しているうちに外れた。
32:26 すると、その人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」ヤコブは言った。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」
32:27 その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は言った。「ヤコブです。」
32:28 その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたが神と、また人と戦って、勝ったからだ。」
32:29 ヤコブは願って言った。「どうか、あなたの名を教えてください。」すると、その人は「いったい、なぜ、わたしの名を尋ねるのか」と言って、その場で彼を祝福した。
32:30 そこでヤコブは、その場所の名をペヌエルと呼んだ。「私は顔と顔を合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた」という意味である。
32:31 彼がペヌエルを通り過ぎたころ、太陽は彼の上に昇ったが、彼はそのもものために足を引きずっていた。
32:32 こういうわけで、イスラエルの人々は今日まで、ももの関節の上の、腰の筋を食べない。ヤコブが、ももの関節、腰の筋を打たれたからである。

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タイトル 【子孫の祝福】 
 
 祝福は生きている種のように、いのちが働く神の約束です。

 人間に神が享受しておられる栄光と権勢を得させようとされますが、人間にはその祝福を担う力がありませんでした。

 このような問題を解決するために、神はイエス・キリストをこの世に遣わされました。それで、私たちは神を知る前にまずイエス・キリストに会いました。

 私たちは祝福を受けることができないように妨害するのが罪であるということを悟り、キリストの十字架の功労に頼って悔い改め、その方の名によってバプテスマを受けました。

 バプテスマを通してこの世から脱け出した者には神から与えられる祝福を受ける権利があります。

「祝福」という言葉は聖書で最も多く言及されている言葉の一つです。神は祝福を願い求める者に必ず祝福を与えられます。祝福は神と人間との間で結ばれた重大な約束です。

 私たちが神の御前で祝福を求めるのは神に対する信仰があるためです。
神の御前で信仰のある者と信仰のない者、完全に区別されます。

 もし私たちがこの地での華麗な人生を見て、その方々が祝福を受けた人生と考えるのであれば、これは神の御名を冒瀆し、神の約束を無視するのと変わりがありません。

 私たちは祝福というものがただイエス・キリストの中でだけ得ることができる神固有の力であるということを知って、それを切に慕い求めなければなりません。
 
 本日の本文では、夕暮れから天使と格闘しはじめたヤコブは夜が更けて明けるまで、天使を離しませんでした。

 ヤコブは神からの祝福を真剣に求めました。これまでも彼は祝福の中にいなかったわけではありませんでしたが、この時ばかりは、兄との和解のために、神からの圧倒的な祝福を求めたのです。兄との和解の前に、ヤコブは神との和解が必要でした。

 ついに天使はヤコブが勝ったということを認めて、「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。」(創32:28)といいました。

 神との和解、これこそが祝福です。この祝福を受けたヤコブは、兄エサウを祝福し、兄と和解する勇気を得たのです・
 
 そして、天使に勝ってヤコブはこのようにしてイスラエルという名を受けましたが、その名を使わないで、子孫に与えました。神は早くからアブラハムに「あなたの子孫は、自分たちのものでない国で寄留者となり、彼らは奴隷とされ、四百年の間、苦しめられよう。そして、四代目の者たちが、ここに戻って来る。」といわれました(創15:13~18)。
4代目とはアブラハム、イサク、ヤコブの跡を継いだイスラエル、すなわちヤコブの子とその子孫をいいます。

 神が「あなたとあなたの子孫が祝福を受ける。」といわれた通りに、ヤコブは自分が受けた祝福を子孫に受け継ぎました。エジプトで生活した400年間、その数が大きく増えたヤコブの子孫はすべてイスラエルという名の中に入りました。ヤコブは物理的に、歴史的に不可能なことに対する信仰を最後まで手放しませんでした。

 主よ、私を祝福してください!ヤコブのように祝福を受けるまでは、あなたをはなさないと。家族の、子孫の救いを祈りましょう・・・

祈り・・父なる神様、祝福してくださるまでは離さないと言うヤコブの信仰を学べて感謝します。子孫の祝福、約束の御言葉を感謝します。子孫の救いと幸せ、祝福を切に求める者にお与えくださることを信じます。子々孫々に神の恵みによって生きることが出来るように助けてください。祝福を受け、献身し、喜びによって礼拝を捧げる家族となれるよう助けてください。神の恵みの中に立って勝利をすることが出来るように助けてください。イエスの御名によってお祈り致します。アーメン

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それでは、イエス様が教えてくださった“主の祈り”を祈りましょう。

主の祈り
天にまします 我らの父よ
願わくは御名を崇めさせたまえ
御国を来たらせたまえ
御心の天になるごとく 地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を 今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を 我らが赦すごとく
我らの罪をも 赦したまえ
我らを試みにあわせず 悪より救いだしたまえ
国と力と栄とは
限りなく 汝のものなればなり
アーメン


天門教会 こども礼拝 【コリント人への手紙Ⅰ 13章】 2019年9月8日(日)10:00~10:20

こども礼拝 【コリント人への手紙第一 13章】

お話 あやみ先生

聖書 第1コリント人への手紙13章

お話のタイトル 【コリント教会への手紙第一 13章】
         
音声
(※スマートフォンの方はPC版でお聞きください)

お祈り あやみ先生

讃美歌
全曲賛美いたしましょう。


「愛 あい アイ」
1.
いつだって注がれる 主の愛・あい・アイ
生きるため必要なものは 愛・あい・アイ
だれだって求めてる 主の愛・あい・アイ
愛される喜びを知った 愛・あい・アイ
あぁ 生きてて良かったね
こんな出会いがある  
きみは愛されるため 生れたんだ
あぁ 生きてて良かったね
君は神様の子 愛されているんだ

「愛をください」
1.
イエス様 私に いつでも笑顔を
あふれる感謝を ゆるせるこころを
どんな時でも どんな人にも
与える愛を 愛をください
2.
イエス様 私に いつでも自由を
変わらぬ友情を すなおな心を
どんな時でも どんな人にも
与える愛を 愛をください


聖書朗読:【新改訳2017】
第一コリント13章

13:1 たとえ私が人の異言や御使いの異言で話しても、愛がなければ、騒がしいどらや、うるさいシンバルと同じです。
13:2 たとえ私が預言の賜物を持ち、あらゆる奥義とあらゆる知識に通じていても、たとえ山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、私は無に等しいのです。
13:3 たとえ私が持っている物のすべてを分け与えても、たとえ私のからだを引き渡して誇ることになっても、愛がなければ、何の役にも立ちません。
13:4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
13:5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、苛立たず、人がした悪を心に留めず、
13:6 不正を喜ばずに、真理を喜びます。
13:7 すべてを耐え、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを忍びます。
13:8 愛は決して絶えることがありません。預言ならすたれます。異言ならやみます。知識ならすたれます。
13:9 私たちが知るのは一部分、預言するのも一部分であり、
13:10 完全なものが現れたら、部分的なものはすたれるのです。
13:11 私は、幼子であったときには、幼子として話し、幼子として思い、幼子として考えましたが、大人になったとき、幼子のことはやめました。
13:12 今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、そのときには顔と顔を合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、そのときには、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。
13:13 こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。

お話のタイトル 【コリント人への手紙】

この夏、毎週の礼拝で、私たちはパウロの伝道旅行のお話しを聞きましたね。パウロは外国に出かけて、沢山の人にイエス様のことを伝え、信じる人達が増えていろいろな所に教会ができました。そして、パウロは新しい教会の人たちのために祈り、直接出かけて行かれない時には、沢山の手紙をかきました。

2回目の伝道旅行で、パウロはコリントという町に行きました。コリントはギリシアの大都会で、そこに誕生した教会は、都市の教会らしく沢山のクリスチャンが集まる大きな教会でした。

① 人はそれぞれ個性をもっていますから、考え方や感じ方が違います。コリントには偽物の神を礼拝する神殿や偶像が沢山ありました。本当の神様を知らない人たちは、何が正しいことなのか分からなくて、自分勝手な生活をする人も大勢いたのです。
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教会の仲間でも、考え方の違いから問題が起こることがありましたが、そういう時、コリント教会の人たちは、パウロに手紙を書いて相談しました。
パウロは教会からの質問に一つ一つ丁寧に答えるというかたちで、返事を書きました。
それがコリント人への手紙です。

神様は、一人ひとりに個性を与え、得意なことを与えてくださっていますが、聖書ではそれを賜物(たまもの)と呼んでいます。賜物は誰かと比べたり、自慢したり、また、他の人を批判したりするのではなく、教会の働きがよくできるように、一人ひとりが賜物を活かして、それぞれの役割を喜んで果たすために、神様が与えてくださったものなのです。

パウロは、こう書いています。
「どんなに上手に神様のことを話せても、愛がなければうるさいだけです。どれほど神様を信じていても、愛がなければ無駄なことです。自分の持ち物を全部友達に分けてあげても、愛がなければ、何の役にもたちません。」

「愛がなければ・・・」と、3度も言っていますね。
パウロは仲間割れをしたり、人をけなしたりしていたコリント教会の人たちに「一番すばらしい賜物は愛なのです」ということを分かって欲しかったのです。

 皆さんは、愛とはどんなものだと思いますか。

パウロが手紙に書いた愛は、ただ「好き」というのとは違います。
「心の中に本当の愛がある人は、誰にでも優しく親切にします。人をねたみません。自慢したり、威張ったりしません。いつも礼儀正しく、自分が得することを考えず、すぐに怒ったりせず、人に悪いことをされても恨みません。悪いことを嫌って正しいことを喜びます。どんな時にも神様を信じ、神様の導きを期待して、忍耐強くまちます。」

これが、神様がくださる本物の愛なのだというのです。

クリスチャンそれぞれに与えられている賜物も、あの人より自分の方が優れていると高慢になったり、分裂の原因となってしまう危険があるのです。ですから、すべては愛を土台とし、愛によって用いられなければならないのです。


② 皆さんは、どうですか。本当の愛をもっているでしょうか。
ちょっと難しいなと思うかもしれませんね。
だって、私たちは小さなことでも、気に入らないことがあるとすぐに怒るし、友達と喧嘩してなかなか許してあげられず、いつまでも嫌な気持ちが残ってしまうことがあるかもしれません。
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でも、心配しなくても大丈夫ですよ。
イエス様が、完全な本当の愛で、私たちを愛してくださっています。私たちは、その愛によって変わるのです。

聖書の御言葉を読むと分かるように、イエス様こそ愛そのもののお方です。このお方に学び、変えていただくことで初めて、自分の周りの人たちを愛し、その愛を、みんなに分けてあげることができるようになるのです。
イエス様は、そのご生涯を通して、愛を現す生き方を示してくださいました。私達は、このお方によって、本当の愛を知り、その愛を行う者へと変えられていくのです。

イエス様を信じる者には、いつまでもなくなることのない、「信仰」「希望」「愛」が、与えられています。
その中で、最も優れたものは「愛」です。
「愛」は、決してなくなることがありません。
イエス様は十字架によって、真実で大きな愛を示し、私たちを愛してくださいます。

賜物は、神様からの贈り物です。コリントの教会にも、様々な賜物をもつ人がいました。
しかし、そこで自分の能力を誇る人々に、パウロは本当の愛、神様の愛を伝えたかったのです。

私たちに何ができるかということではなく、何を与えられているのかを知ることができるようにと、手紙を送りました。

「愛」とは、神様の愛であり、だから「愛がなければ」全ては無益であると。
愛は、まず神から出て、その愛によって、私たちは
救われ、神を愛する者とされました。
そして、神の愛で、人を愛する者とされていくのです。
愛は、「神と人の」「人と人の」接着剤なのです。


<祈りましょう>
私たちを愛してくださる神様、イエス様のように私たちも、神様を愛し、周りの人達を愛し、親切になれますように。私たちの教会に、家庭に、学校に、愛を与えてください。イエス様のお名前によって、お祈りいたします。アーメン

それでは、イエス様が教えてくださった「主の祈り」を祈りましょう。


しゅの いのり
てんにまします われらのちちよ、
ねがわくは みなを あがめさせたまえ。
みくにを きたらせたまえ。
みこころの てんに なるごとく
ちにも なさせたまえ。
われらの にちようの かてを、
きょうも あたえたまえ。
われらに つみを おかすものを
われらが ゆるすごとく、 
われらの つみをも ゆるしたまえ。
われらを こころみに あわせず、
あくより すくいだし たまえ。
くにと ちからと さかえとは
かぎりなく なんじの ものなればなり。
アーメン

この祈りはイエス様がお弟子さんたちに教えてくださったお祈りなんですね!
この“主の祈り”毎朝、目がさめて一番に“主の祈り”をお祈りするようにしましょう。



天門教会 黙想コーナー  【 ことば 】2019年9月9日


テーマ【 ことば 】

エレミヤ6章19節
6:19 この国よ、聞け。見よ、わたしはこの民にわざわいをもたらす。これは彼らの企みの実。彼らがわたしのことばに注意を払わず、わたしの律法を退けたからだ。
 
    
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
神は仰せられた。「光、あれ。」すると光があった。』
万物は神の言葉によって創られた被造物です。
被造物である人は、それぞれ自分の心・考えを持ち、言葉を語ります。
霊的な存在である神、人、天使だけが言葉を語ることができる存在なのです。

人は、その語る言葉によって生きることもありますし、死ぬこともあるのです。
また、人は年を重ねていく中で成長することもありますし、老いることもありますが、実際にそれを自覚することはなかなか難しいものです。

私たちは騙されたり、病気にかかったり、呪いを受けることもありますが、愛を受けることもありますし、祝福を受けることもあります。

人は弱い者として創られたので、自分の人生についてよく知りません。ほこりが舞い上がっているところに行くとほこりが自分に付くように、悪いものに出会った時に、その悪いものの中にある悪が自分に入って来ることもありますが、自分では気づきません。

良い人に出会う時に、その人の善が自分の中に入って来ることもあります。自分の中に入って来た悪や、善は必ず実を結ぶので、良い実を結ぶこともありますし、悪い実を結ぶこともあるのです。

私たちは聞く言葉によって大きく影響を受けることが、10年程前にアメリカで行われた実験によって分かります。「青年」という言葉と「老人」という言葉を用いて実験しました。
先ず「老人」という言葉に関わる単語を5分位、イメージが浮かぶように見せてから5分間歩かせたところ、歩くスピードが普通に歩いた時よりも2分くらい遅くなりました。
次に「青年」に関わる単語を5分位、イメージが浮かぶように見せてから、同じように5分間歩かせます。結果は普通に歩くスピードより2分以上速くなりました。
しかし、参加者達は自分が遅くなったか、早くなったかは全く知らず、結果を認識することは出来ませんでした。

この実験は、何を試みたかと言いますと、自分では気づかないうちに、聞いている言葉によって、自分がどんなに多くの影響を受けているかと言うことを実証したのです。
ですから、私たちはどのような言葉に触れているのか、どのような言葉を聞いているのかということは非常に重要です。

否定的な言葉の主人は悪魔です。肯定的な言葉の主人は神様です。

問題が発生する原因は多くの言葉の中にあります。悪魔の言葉を聞くことで、私たちの人生の中に多くの苦しみが生じるようになります。
その反面、神様の言葉を聞いた者の心霊は、喜びが満ち溢れ楽しくなります。

しかし、私たちには悪魔も神様も見えません。自分が今聞いている言葉の主人は神様なのか悪魔なのかをなかなか見分けることが難しいということです。

神様も、悪魔も人を通して語りたいこと、その心を現します。

そして、私たちが聞いたその言葉は、私たちの中に積もるようになるのです。
例えば雨が降る時、その雨は地の上に浸るようになります。同じように霊的な存在から聞いた言葉は、私たちの霊魂の中に糧として積もるようになります。しかし雪が降ったとしても、積もる前に、私たちがそれを除雪すれば雪は積もりません。

ですから悪魔から与えられた言葉であるということさえ見分けることが出来れば、私たちはそれを自分の中に、積もらせることはないのです。
悪魔の言葉が私たちの心霊の中に積もると、私たちの心は汚れてしまいます。
私たちが、悪魔が語った言葉を受け入れ、その言葉を続けて聞くならば、私たちの人生に色々な苦しみが生じるようになります。そして、悪魔から与えられた言葉、与えられたその思いを持って生きることを神様は喜ばれません。神様からの災いが訪れる原因となります。神様の律法や、神様の戒めを捨てて悪魔に従ってしまったためです。私たちは悪しき者の言葉を拒まなければなりません。

言葉は聞くことと同時に自分がどのような言葉を語っているのかということもとても重要です。

マタイの福音書12章33~37節を見ましょう。【新改訳2017】
12:33 木を良いとし、その実も良いとするか、木を悪いとし、その実も悪いとするか、どちらかです。木の良し悪しはその実によって分かります。
12:34 まむしの子孫たち、おまえたち悪い者に、どうして良いことが言えますか。心に満ちていることを口が話すのです。
12:35 良い人は良い倉から良い物を取り出し、悪い者は悪い倉から悪い物を取り出します。
12:36 わたしはあなたがたに言います。人は、口にするあらゆる無益なことばについて、さばきの日に申し開きをしなければなりません。
12:37 あなたは自分のことばによって義とされ、また、自分のことばによって不義に定められるのです。

私たちは私たちの口から出る、あらゆる言葉によって罪に定められることもありますし、また義とされることもあります。
罪に定められるとはどういう意味でしょうか? それは死ぬと言う意味です。
誰かによって殺されるということではなく、自分の口から発する言葉によって殺されるという意味です。

神様は私たちが語る言葉を聞いておられ、認められる方なので、私たちが口にしたその言葉通りに働かれるのです。神様の御心通りに私たちの人生を導かれるのではなく、私の口にするその言葉通りに働かれるということです。

人はたまに錯覚することがあります。それは神様が私たちの意志と全く関係なく、私たちの人生を導かれると錯覚するのですが、そうではなく、神様は私たちが口にしたその言葉を根拠として、私たちの人生を導かれるのです。

もう一つ聖書で捜してみましょう。
民数記14章27-28節
14:27 「いつまで、この悪い会衆は、わたしに不平を言い続けるのか。わたしは、イスラエルの子らがわたしにつぶやく不平を聞いた。
14:28 彼らに言え。わたしは生きている──【主】のことば──。わたしは必ず、おまえたちがわたしの耳に語ったとおりに、おまえたちに行う。


「わたしは必ず、あなたがたが、わたしの耳に語ったように、あなたにするであろう!」
と仰っています。私たちは自分が口にするその言葉から、悔い改めて変えなければなりません。自分が生きている人生は、自分が口にしたその言葉の結果となり、同時に、自分の聞いた言葉の結果となるのです

「自分の人生を変えることは難しいことでしょうか?」「いいえ、簡単です。」自分が聞く言葉を選択し、神様が語られたその御言葉を自分の口にしたら良いのです。

人間関係を譬えてみましょう。例えば、相手を心の中では、好きだと思っているのですが、その人に会った時には、つい悪口を言ったとします。考えて見てください。その相手の人は、自分の本音である好きだという感情を受け取ることが出来るでしょうか?それとも、自分の口から出てきたそのとげとげしい言葉を受け取るでしょうか?相手は自分の耳に聞こえたそのとげとげしい言葉を先ずは受け取ると思います。

神様も同じです。私たちの中に難しくて良くない思いがあったとしても、神様の語られた御言葉にアーメン!と応えて、神を賛美して、神を慕い求めて神に栄光を捧げます!と言う時に、神様は私たちが口にした言葉をその告白を受け取られます。感謝して喜んで祈るその言葉を今、聞いておられるのです。

これは私たちが幸せに生きることができる近道です。
神様との関係を結ぶ方法と、人間関係を結ぶ方法の原理は同じです。

現実的な不満を言う必要はないのです。現実的な病気や不便な事は、永遠に続くものではありません。現実のいのちを維持する力は短いからです。短い時間苦しみが訪れたとしても、時間が経てば経つ程に苦しみは消えて行くのです。神様の御言葉を聞いて、認めて、口に告白して、感謝して喜ぶ時に、苦しい時間や事柄が早く通り過ぎていきます。
私たちの口と私たちの心を、主の御言葉に一致させましょう。幸せは、私たちが考えて感じているよりも、もっと私たちに近づいていると思います。なぜなら、神様は私たちが口にする告白を聞いておられ、その通りに働かれるからです。
アーメン


祈りましょう・・天の父なる神様の御名を崇め讃美いたします。私たちがいつも語ることばを潔め神に栄光を帰すことばを語ることが出来るように助けてください。バプテスマを受けた者として恵みを証する信仰のことばが生活の中で身につくように黙想しました。揺らぐことのない信仰を持って最後までことばで死を招くことがないよう走り続けることを助けてください。自分自身の熱心や知恵によっても足りません。日々の語る言葉が生をも死をも招くことも神の御言葉を通し悟りました。これからは霊感と信仰によって唇を聖めることができますように、これまでも真理を聞きながらもことばで罪を犯す者でした。自分の良心をもって判断してことばを発し困難な目にあっています。神の御言葉が知恵となり、霊感となり力となるように助けてください。神が共にいてくださることをあらわしてくださることを願います。多くのことばを聞いて偽りと真実がハッキリと現れるように区別されるように神の栄光を見ることができるように助けてください。祈りによって神の慰め平安祝福を与えてくださり、聖霊によって聖書を聞いて悟ってかたることができますように助けてください。イエスも悪魔の試みを御言葉によって沈められました。聖霊によって神の御言葉を思い出し、その御言葉によって悪魔の働きを退ける勝利者となることが出来るように助けてください。多くの人々が信仰のことばによって生涯を歩むことを得させてください。イエスの御名によってお祈りを致します。アーメン


それでは、イエス様が教えてくださった“主の祈り”を祈りましょう。

主の祈り
天にまします 我らの父よ
願わくは御名を崇めさせたまえ
御国を来たらせたまえ
御心の天になるごとく 地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を 今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を 我らが赦すごとく
我らの罪をも 赦したまえ
我らを試みにあわせず 悪より救いだしたまえ
国と力と栄とは
限りなく 汝のものなればなり
アーメン


天門教会 聖日礼拝【神の法則】2019年9月1日(日)10:30~12:00


タイトル 【神の法則】 日曜日10:00~12:00

説教:貴村かたる

聖書:ローマ8:1~12
音声:
(スマートフォンの方はPC版でお聞きください)

賛美礼拝

賛美歌 404(山路こえて)
聖 歌 528(いまだみぬ地)
讃美歌  30(あさかぜしずかに)
賛美歌 280(わがみののぞみは)
讃美歌 539(あめつちこぞりて)

聖書:ローマ8:1-12【新改訳2017】

8:1 こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
8:2 なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の律法が、罪と死の律法からあなたを解放したからです。
8:3 肉によって弱くなったため、律法にできなくなったことを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪深い肉と同じような形で、罪のきよめのために遣わし、肉において罪を処罰されたのです。
8:4 それは、肉に従わず御霊に従って歩む私たちのうちに、律法の要求が満たされるためなのです。
8:5 肉に従う者は肉に属することを考えますが、御霊に従う者は御霊に属することを考えます。
8:6 肉の思いは死ですが、御霊の思いはいのちと平安です。
8:7 なぜなら、肉の思いは神に敵対するからです。それは神の律法に従いません。いや、従うことができないのです。
8:8 肉のうちにある者は神を喜ばせることができません。
8:9 しかし、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉のうちにではなく、御霊のうちにいるのです。もし、キリストの御霊を持っていない人がいれば、その人はキリストのものではありません。
8:10 キリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、御霊が義のゆえにいのちとなっています。
8:11 イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリストを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられるご自分の御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだも生かしてくださいます。
8:12 ですから、兄弟たちよ、私たちには義務があります。肉に従って生きなければならないという、肉に対する義務ではありません。
8:13 もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬことになります。しかし、もし御霊によってからだの行いを殺すなら、あなたがたは生きます。

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タイトル 【神の法則】  
 神はいつも御自身の働きをされます。神はいつも御自身の働きをされる神です。私達は神が天地を造られた創造者であると言うことを信じています。

神は創造されて、それで終わったわけではありません。即ち神が語られた御言葉を続けて実行されます。神がもし働かれないのであれば、万物は生きることができません。
霊と言うのは息をすると言う意味です。

神の御言葉は続けて、続けて存在しています。働いています。神の御言葉は全て約束です。その約束がなされています。成就されています。

イエスはこのように言われました。父が私達の祈りを既に聞いておられると、その方が栄光を受けられる時、その働きを実行されると言われました。時になるとと言われました。
 
その方は休むこともなく、まどろむこともなく、語られたことを、全て実行に移され、ついに、御子を通して御自身の働きをされる、イエスはキリストであり、神が遣わされた者です。
イエスは神の働きをされる方であり、聖霊は助け主です。神の善なる働きを証しされる。神が先ず律法を悟らせてくださり、イエスを遣わして律法の欲求を負ってくださり、聖霊を遣わして私達の霊を生かしてくださった。

イエスの血は私達の霊を使われ、聖霊は私達の霊を生かしてくださった。だから私達の信仰は聖霊によって生きなければならない。
聖霊のない肉体は神と敵になり、その方を喜ばせることはできない。

聖霊の法則は自由です。神が私達を呼ばれたのは律法の下に罪人として生きないで、罪から救いを得ようとすることです。イエス・キリストは救い主として遣わされたのです。
神はその方の功労をうけさせ、それによって義とさせる為です。聖霊を注がれたのは、私達を新しく生まれさせ、新しい被造物としてくださった。
聖霊の法則に従おう。聖霊のない霊魂は宗教人であるだけです。
聖霊によって霊的な聖徒となりましょう。アーメン

祈りましょう・・・聖なる神様、以前私達は動物のように生きていましたが、神が私達に愛を施して下さった故に、天使達よりも勝る者となりました。私達がこの世で生きていた時、抑圧を受けましたが、その抑圧を除去してくださって神様に感謝します。神が私達を神の御子と区別しないで、イエスの中で私達を呼ばれました。神の御子のように愛して下さいました。このように導いて下さいました。私達も神様に感謝と栄光を捧げます。神の子どものように生きることが出来るように助けて下さり、いつも共にいてください。私達は、イエス・キリストを信じて神の子どもとなりました。イエスの功労を認めてそれ故、古い身分を捨てて新しい被造物となりました。これから新しい被造物として神の愛を受けて生きたいです。私達に聖霊の感動を与えて下さって、私達がキリストに似る者となりますように。神が私達に働いてくださり、また感動を与えてくださり、また聖霊によって生きることが出来るように助けてください。聖霊によって生きることが出来るように助けてください。私達が聖霊によって奉仕して、聖霊によって礼拝を捧げて、聖霊によってお互いに愛し合って、聖霊によって教会を愛して、教会を発展させることが出来るように助けてください。イエスの御名によってお祈り致します。アーメン
          
 
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それでは、イエス様が教えてくださった“主の祈り”を祈りましょう。

主の祈り

天にまします 我らの父よ
願わくは御名を崇めさせたまえ
御国を来たらせたまえ
御心の天になるごとく 地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を 今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を 我らが赦すごとく
我らの罪をも 赦したまえ
我らを試みにあわせず 悪より救いだしたまえ
国と力と栄とは
限りなく 汝のものなればなり
アーメン




天門教会こども礼拝 【ローマへの旅】2019年9月1日(日)10:00~10:20


こども礼拝 【ローマへの旅】日曜日 10:00~

お話 ゆか先生

聖書 使徒の働き 27章~28章

お話のタイトル 【ローマへの旅】
         
音声:
(※スマートフォンの方はPC版でお聞きください)

お祈り ゆか先生

お話のタイトル 
【ローマへの旅】使徒の働き27章~28章

「少しもはばかることなく、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた」  使徒の働き28章31節

今日のお話しは、「使徒の働き」の最後のお話しです。
パウロは以前、イエス様から「ローマでもわたしのことを証ししなければならない」と命じられていました。使徒の働きの23章11節のところですね。
“その夜、主がパウロの傍に立って「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことを証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」と言われた。”
そのため、パウロはどうしてもローマに行きたいと思っていました。その頃の世界を治めていたローマ帝国の都で、世界中から集まってきたたくさんの人に、イエス様のことを伝えたかったのです。

ローマは船で何日もかかる、とても遠いところです。
船が「良い港」と呼ばれる港に着いた時は、ちょうど海が荒れる季節になっていました。パウロは「今、船を出したら危険です」と忠告していましたが、皆は「この港を出た方がいい」と言って、船を出してしまいました。


① しかし、パウロの言ったとおりになりました。
しばらくは順調に海の上を進んでいましたが、間もなく「エウラキロン」と呼ばれる暴風が吹き、激しい嵐になって、全く進めなくなり、流されるままになってしまったのです。
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ひどい暴風の中、船員たちは船を軽くするために、次の日には積み荷を捨て始め、3日目には、自分たちの手で船の道具まで海に捨ててしまいました。
でも、風は強くなるばかり、嵐は何日も続きました。
 「大変だ!このままでは、船が沈んでしまう!」
「もう、だめだ!! 私たちは助からないんだ!」
ルカは、この時の心境を、こう記しています。27章20節のところです。『幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消えうせようとしていた』
皆が、「もう助からない」と絶望していたのです。

⓶その時、パウロが彼らの中に立って、言いました。
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「私の言ったとおりにしていれば、こんな危険なことにはならなかったでしょう。しかし、元気を出してください。船は失っても、私たちの中で命を失う人は、一人もいません。昨夜、神様の使いが、私に語りかけてくれたのです。『パウロ、あなたは必ずローマ皇帝の前に立ちます。神様は船に乗っている人々の命を、あなたに任せてくださったのです。』と。
私は、神様を信じています。必ずお言葉のとおりになります。」

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③パウロは嵐の中でも全く怖がったりせず、とても落ち着いていました。全く恐れていなかったのです。それは何故だかわかりますよね。
神様が助けてくださると、心から信じることができていたからです。皆はパウロの様子を見て「もしかしたら、パウロの信じている神様の言うとおりになるのかもしれない」と、思い始めていました。
それからまた何日かたち、船が出てから14日もたちました。


④ 14日もの間、皆は不安で全く食べることもできませんでした。パウロは皆を励まし、「大丈夫、助かりますよ。何か食べて元気をだしましょう。」と、神様に感謝の祈りをささげて、パンを食べました。
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皆も元気が出てきて、久しぶりに食事をとりました。「神様、感謝します」そう祈り、皆でパンを食べました。
次の日の朝、ようやく島が見えてきました。それはマルタ島といわれる島でした。船に乗っていた全員が海に飛び込み、泳いで陸にたどり着きました。
パウロの言ったとおり、神様が皆の命を守ってくださったのです。

⑤マルタ島で、島の人の病気をいやしたりしながら、船出に必要な物を準備し、3か月後に別の船で出航して、ようやくローマに着くことができたのです。パウロは訪ねてくる人に、朝から晩までイエス様のことを語りました。また、各地の教会に手紙を書きました。
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パウロが伝えた福音は、やがてローマ帝国中に、さらに世界中に広まり、時代をこえて私たちのもとまで届いたのです。
最初に読んだ、使徒の働き28章31節、ここが大切なところです。
「少しもはばかることなく、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた」
数々の困難や苦難や妨害はありました。けれども、キリストの福音が宣べ伝えられるのを、真に妨げることのできるものは何もないのです。

 そして、このお話しで、もう一つ大切なことがあります。
もし、私たちがこのパウロたちのように、とても困ったことや不安を経験したら、どうしたらいいのでしょう。また、周りの人が落ち込んでしまい、希望がもてなくなってしまったらどうしますか?
パウロは絶望の時に何をしていたでしょうか。嵐の中でパウロだけが絶望しなかったのは、神様が必ず助けてくださることを心から信じていたからです。そして、主からの励ましと希望を受け取って、それを周りの人にも与えることができました。
 不安な時、苦しい時、辛い時、試練の時は必ずきます。しかし神様は「恐れることはない」と私たちに語りかけてくださいます。どんなに辛くても必ず神様は助けてくださる。いつも私と共にいて、必ず私に力をくださいます。そのことをいつも覚えて、希望をもって毎日の生活を送りたいと思います。そして、できることなら周りの人にも、その希望を与えることができるように日々歩みたいと思います。

<祈りましょう>
神様、今日はパウロがローマに行くまでのお話しを聞きました。嵐で絶望の中、周りを励まし続けたパウロのように、私たちも心から神様を信じ、周りの人にも与え続けることができますように、どうぞお導きください。イエス様のお名前によってお祈りいたします。アーメン。

 
それでは、イエス様が教えてくださった「主の祈り」を祈りましょう。

しゅの いのり
てんにまします われらのちちよ、
ねがわくは みなを あがめさせたまえ。
みくにを きたらせたまえ。
みこころの てんに なるごとく
ちにも なさせたまえ。
われらの にちようの かてを、
きょうも あたえたまえ。
われらに つみを おかすものを
われらが ゆるすごとく、 
われらの つみをも ゆるしたまえ。
われらを こころみに あわせず、
あくより すくいだし たまえ。
くにと ちからと さかえとは
かぎりなく なんじの ものなればなり。
アーメン

この祈りはイエス様がお弟子さんたちに教えてくださったお祈りなんですね!
この“主の祈り”毎朝、目がさめて一番に“主の祈り”をお祈りするようにしましょう。


天門教会 聖日礼拝【起き上がりなさい】2019年8月25日(日)10:30~12:00


タイトル 【起き上がりなさい】 
日曜日10:00~12:00


説教:貴村かたる

聖書:ヨハネ5章2~15節
音声:
(スマートフォンの方はPC版でお聞きください)


賛美礼拝
聖 歌 616(カルバリ山より)
讃美歌  56(なぬかのたびじ)
聖 歌 554(主ひとり)
讃美歌 539(あめつちこぞりて)


聖書:ヨハネ5:2-15【新改訳2017】

5:2 エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があり、五つの回廊がついていた。
5:3 その中には、病人、目の見えない人、足の不自由な人、からだに麻痺のある人たちが大勢、横になっていた。
5:4 【本節欠如】
5:5 そこに、三十八年も病気にかかっている人がいた。
5:6 イエスは彼が横になっているのを見て、すでに長い間そうしていることを知ると、彼に言われた。「良くなりたいか。」
5:7 病人は答えた。「主よ。水がかき回されたとき、池の中に入れてくれる人がいません。行きかけると、ほかの人が先に下りて行きます。」
5:8 イエスは彼に言われた。「起きて床を取り上げ、歩きなさい。」
5:9 すると、すぐにその人は治って、床を取り上げて歩き出した。ところが、その日は安息日であった。
5:10 そこでユダヤ人たちは、その癒やされた人に、「今日は安息日だ。床を取り上げることは許されていない」と言った。
5:11 しかし、その人は彼らに答えた。「私を治してくださった方が、『床を取り上げて歩け』と私に言われたのです。」
5:12 彼らは尋ねた。「『取り上げて歩け』とあなたに言った人はだれなのか。」
5:13 しかし、癒やされた人は、それがだれであるかを知らなかった。群衆がそこにいる間に、イエスは立ち去られたからである。
5:14 後になって、イエスは宮の中で彼を見つけて言われた。「見なさい。あなたは良くなった。もう罪を犯してはなりません。そうでないと、もっと悪いことがあなたに起こるかもしれない。」
5:15 その人は行って、ユダヤ人たちに、自分を治してくれたのはイエスだと伝えた。


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タイトル 【起き上がりなさい】
  
 今日は神の御心に従順してこそ病気の癒しを受けるという内容です。

 先ず、悔い改めがスタートです。信仰のないことを悔い改めよう。聖霊は信じないことが罪であると教えます。信仰のないことを悔い改めないことが問題です。

 私の魂や精神が完全に御言葉を信じてこそ肉体も魂も御言葉の支配を受けることができます。
 神は魂ではなく霊を生かすために血を流されました。その血が命であると言われました。

 私たちの信仰は肉体から始まるのではありません。霊からはじまります。

 救いとは罪から律法からの救いを言います、イエスの名は自分の民を罪から救うという意味です、罪から救いを受けるとすべてが解決されます。

 病気の癒しは神の御心です。肉体は永遠なものではありません。土の器です。その器が壊されないように癒しを受けなければいけません、
 
 38年もの間病気にかかっている者がいました。現実は38年間立ち上がることができないというものでした。イエスの御言葉は現実とは全く異なります、“床を取り上げなさい”と、いうのは病人としての観念を捨てなさい、克服しなさいというのです。

 病気を癒す神の力は遠くにあるわけではありません、どこにありますか、私の霊の中にあります。これを信じ認めてください。魂が認めなければいけません。
 神の癒しの力が私の霊にある、これを認めなければいけません、神の御心に従うのです。従いますと魂が告白しなければいけません。魂が認めた肉体は動かなければいけません。
たとえ癒しの効力が現れなかったとしても、続けて自分の魂が肉体に命じて動かなければいけません、行いのない信仰は死んだ信仰であると言いました。起き上がらなければいけません、起き上がろうでなく起き上がらなければいけません、
 
 神癒は神の御心です。神の生きておられる御心です。神の御心が霊に臨みました。神の恵みは霊に入ります。私の魂は従順するのです。魂である知・情・意が御言葉で完全に捕まれてこそ癒しが現れます。魂が認めて従わなければいけません。魂が認めなければ癒しの効力は現れません。
 神の恵みは霊にあることを魂が認めて、それが肉体に現れることを魂が認め従って行わなければいけません。そのようにしてこそ病気に勝利することができます、二度と私を苦しめることはありません。
 
 神癒は、生ける神の御心です。霊に与えられた恵みを魂が認める時、体に癒しの徴が現れます。

 病気は見えないものからはじまります。悪霊が入ってくれば失敗をもたらし混乱をもたらします、悪霊に隙を見せないで入ってこないようにしなければいけません。続けて御言葉に頼りましょう。アーメン

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 それでは、イエス様が教えてくださった“主の祈り”を祈りましょう。

主の祈り
天にまします 我らの父よ
願わくは御名を崇めさせたまえ
御国を来たらせたまえ
御心の天になるごとく 地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を 今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を 我らが赦すごとく
我らの罪をも 赦したまえ
我らを試みにあわせず 悪より救いだしたまえ
国と力と栄とは
限りなく 汝のものなればなり
アーメン